晩秋の中房総から外房サイクリング
大多喜駅を出て小谷松駅に向かう線路に並行する国道297号を走りながら、本当ならそこに見えるであろう小さな祠と黄金色に色づいたイチョウが目に入らないかと視線を送ったが、あまりにも暗すぎた。もう周囲は漆黒の闇であった。
並行する線路を、祠とイチョウの背後、いすみ鉄道の気動車が走っていくさまを写真に収められればとお気楽にGPSマップにポイントだけは置いていた。夕刻くらいになるだろうか。傾いた日によりいっそうイチョウは輝くだろうか──。
しかしそれは机上の空論に終わった。夜の幕が下りたそこには何ひとつ僕の肉眼に届かない。
でもよかった。帰りの車の運転のアクアラインから圏央道まで長々と伸びた渋滞のなか、並ぶ赤いブレーキランプの帯を眺めながら一日のサイクリングの余韻に浸るのだ。
◆
いくつかの候補地のプランを出し、絞り込んだ場所からまた複数のルート案を出して決めたサイクリングは、道の駅おおたきを起終点にした。房総までの輪行時間が日の短い晩秋にうまく合わせられなくて、僕がアクアライン経由で車でアプローチすることを提案した。朝、Hさんを拾いUさんを拾い、3台の自転車を積んでアクアラインから国道297号で大多喜へ入った。
車で行くその道は特に木更津に上陸してから霧がひどくて、交差点の信号さえ直前まで認識できないほどだった。それでも上総牛久から国道297号で南へ下りると徐々に晴れていき、道の駅に車を置くころにはほっと安堵できるようになった。
それぞれが自転車を組み上げ、出発の準備をする。これから麻綿原高原を抜け勝浦への山を越え、そこから海岸線を大原まで楽しもう。そして大原からは初の試み、サイクルトレインに乗ってみよう。
午前9時過ぎ。徐々に気温は上がり始めていた。
(今日のルート)
まずは上総中野を経て老川に向かう。
「ここって前に通った道ですよね」
と誰からともなく言う。大多喜から上総中野へ向かうここは、偶然にも今年4月同じメンバーHさんUさんと走った場所だ(←旧ブログ:菜の花・さくら・鉄道(1)──房総私鉄沿いサイクリング──)。あのときは桜と菜の花、そして今回は色づく晩秋である。
青空のなかを横切るいすみ鉄道の鉄橋を眺め足を止めた僕らは、自転車をガードレールに置いてその秋の風景を写真に収めた。早速止まっちゃいましたね、と笑った。この先の道に趣のある駅や踏切、風景がふんだんにあるのは春のサイクリングで体験済みだ。それを知ってかふたたび先頭を走り始めたUさんが今日はそれらをみな飛ばしていく。背中から感じられる、ここで止まっていたら今日の行程は終えられないよねという雰囲気から、止まりたい心を抑えているのが伝わるし、後ろを走る僕らもそうだった。
上総中野の駅も横目で確認しただけで過ぎ、その先国道465号へ折れた。交通量は少ない。
僕はもう少し車の往来があるだろうと思っていた。まったくないわけじゃないけれど、想像していたよりも少なかった。この先に養老渓谷という紅葉では名の知れた観光地があるのに、この程度なのかと感じていた。ときどき車がかたまりになって6台、7台、それが行き過ぎるとしばらく来ない。また同じようにかたまりになって数台。それを繰り返す交通量だった。
ゆるゆると小高い丘を上って行く道で、先行していたUさんが道端に自転車を止めているのが見えた。頭上には赤に染まりゆくグラデーションがかったもみじ。少し先にはきれいに黄一色に染まったイチョウの木があった。
写真を撮っていた僕らに先に行くと声をかけたHさんが今度は百メートル先で止まっていた。目にも鮮やかな赤のもみじ。結局、こうなる。結局、これが楽しい。
(中房総を走る)
養老川を渡る小さな橋の上で渓谷の紅葉を愛で、山の吹付法面に開けられた僕らには用途のわからない壕のような穴──ゴミが捨てられているからゴミ置き場のようにもとれる──を見、麻綿原高原へ向かう急坂を上るとすぐに、土木関係のバンや小型のダンプカーが何台も路肩に止まっていた。
「どこ行くの? どこまで行くの?」
何人も立ち働いている作業着のオジサンたちのうち、ひとりが僕らに声をかけた。
「麻綿原に行こうと思ってるんですが」
「麻綿原へは通行止めだあ」
崩落があり道路は通行止めだと言う。オジサンたちがその工事のためにここに入っているのかどうかは聞かなかったが、この先通れる状態ではないそうだ。
僕らは礼を言いUターンする。別のオジサンが「麻綿原に行くなら向こうの道(県道178号のこと)からトンネルの手前で入っていくと行けるよ」と言ってくれた。僕らのルートからすると出口、つまり逆から入れば行けるよとのことだけど、僕はここから通り抜けて行けないのであればピストンでまで麻綿原に行く興味は感じていなかったから、頭のなかのルートからはすでに外していた。オジサンにありがとうございますと言って坂を下った。
◆
自転車の僕らでさえ渋滞に巻き込まれていた。
県道178号の粟又の滝付近、もともとセンターラインもない狭い県道に双方向から乗用車が往来し、いい場所で駐車しようと集まるのだ。それに車の離合でさえ大変な場所に大型バスまでやって来る。整理員が出て両方向の車の行き来をコントロールしているけれど、それもいっぱいいっぱいであるとわかる。駐車場の入り口ともなると混乱はさらに増していた。
車と同じようにじりじりと僕らも進む。
少しばかり道端で立ち止まって色づいた斜面をカメラに収めるも、またすぐに先に進んだ。
僕は走りながら眼下の滝に至る養老川河畔にたくさんの人影を認め、首を左右に振った。「滝、行かなくていいですよね」と僕はふたりに声をかける。「いいですよ」と返事が返る。粟又の滝入り口の看板を見送り、両方向から駐車場に入ろうとする車の淀みを横目に、さらに坂を上って行った。
道は、粟又の滝から1キロも行くか行かないかほどで驚くほど静かになった。じゃああの車たちはいったいどこから集まってくるのだと思わせた。あの場所へ行くにはこの道の両方向いずれかから向かうしかないのに。
走っていると養老渓谷や粟又の滝が人気になる理由もなんとなく理解はできた。県道178号を南下するにつれ、標高こそ上がっていくものの赤い色づきが減ってきた。常緑も多い。全体的にくすんだ色彩が、目に秋というより冬枯れの風景を思わせた。鮮やかな赤や黄に染まっているほうが断然楽しいのは理解ができる。
道はさらに南下を続ければ外房の海、上総興津へ出るが、今回は勝浦へ向かう経路に内陸の里道を選んだ。
集落あり、散村あり、そこにはさまざまな人の暮らしがあった。どこにも共通しているのは、田畑があり家があり道があり神社や寺がある。それ以上でもそれ以下でもない山村風景は、青空から降り注ぐ日差しとともにやらわかに僕らを包んでいた。
(海の近くまで来ているとは思えない山あいの里道)
途中工事通行止めで大きく迂回したのち、いよいよ海への急坂を下る。外房の海に面した丘陵は急峻で、自然の大きな防波堤のようだ。大多喜から大原に流れ太平洋にそそぐ夷隅川はその源流がここ勝浦市にある。海から数キロしか離れていない丘陵部の裏側だ。丘陵部を避けるように海とは真逆の北へ向かって行く流れは自然の造形の複雑さを感じる。
丘陵部の海側に出るといよいよ大海原が遠くに確認できた。そして急坂を一気に下る。外房線の錆びたガーダー橋の下をくぐるとそこは、子供のころに海水浴にやって来ると感じていた海の街が持つ独特の雰囲気があった。どれが何がそう感じさせるのははっきりわからないけれど、五感がそう感じる。
「何時ですか?」
とHさんが後ろから声をかける。
「12時半過ぎてます」
と答える。
信号待ちでもあったので、僕は少し間をおいて「──食べましょうよ」と言った。
(勝浦の町と海へ一気に向かう下り坂道/いよいよ勝浦の街と外房の海へ)
もともと今日のコースプランのなかに、大原の食堂での昼食を盛り込んでいた。テレビドラマ「孤独のグルメ」に登場した店で、ドラマを見た僕らはぜひ立ち寄ってみようとコースに組み入れていたのだ。
しかしHさんが調べてくれたその店は14時で閉店してしまうそう。テレビ人気もあってのことらしいけど、どう見積もったって間に合わないし現実的に言って14時過ぎたらもう昼食じゃない。
──僕らはここで大原での昼食を捨てた。
いったんルートを外れ、駅前周辺をひとまわり。直感的に選んだ一軒に入る。そこは魚屋がやる魚介系の食堂だった。大原の食堂は肉屋がやる肉を中心とした食堂……、面白いと言えば面白い展開だ。
入り口に白とブルーの美しいクロモリのコルナゴが置かれていた。お店の人の自転車で、おかげでしばらく自転車話になった。海沿いをまわって館山まで走りに行くこともあると言い、その距離は140、150キロにも及ぶそう。
そして僕らはそれぞれの魚介に舌鼓を打った。
◆
勝浦から大原へは国道128号ではなく海沿いをできる限リトレースする。僕がコース計画のときどうしても混ぜてほしいとお願いしたところだった。海にせり出した断崖は、港や集落を入江に集めた。それらをつなぐ里道は急峻な断崖を駆け上り、駆け下りる。上り下りが絶え間なく続くルートになるけれど、でもここから見る海の風景と港の町々は格別だ。ちなみに国道128号からはほとんど海が望めない。
勝浦の漁港からトンネルを抜け急な坂を上ると一気に高みからの眺望に変わった。左手には勝浦の町から弓なり状に連なる興津への海岸線。そして右手には入り組んだ崖の先に大海原、太平洋。誰もが言葉もなく止まった。ここで止まることに断りは必要ない。自転車を置き、思い思いの場所に散り、シャツターを切った。
さらにそういう局面が数百メートルごとに現れる。「ちょっとここすごい」「止まってもらっていいですか」「写真だ、これは撮らないと」──さあ行こうとペダルを漕ぎ始めるたびに誰かがそう叫ぶ。
だから勝浦灯台の入り口にたどり着くのには相当の時間を要した。
以前僕が訪れたとき、勝浦灯台への道の入り口に鎖がかかっていて僕は入ることができなかった。あるいはそんな印象があっただけかもしれない。今日は車両進入を防ぐポールはあるものの、先に進むことができる。僕は初めて、勝浦灯台をまぢかに見る機会を得た。
枯葉や折れた枝や土砂なんかが散乱する進みづらい道を、自転車を押していく。100メートルにも満たないほど、そこに勝浦灯台の大きな門とその奥にある白亜の搭があらわれた。
(勝浦から坂を上って海を望む)
(勝浦灯台)
官軍塚一帯の里道は迷路だ。
官軍塚は戊辰戦争の折、官軍の援軍として肥後藩から出帆した船がこの地で難破し、その遭難者たちを埋葬した塚。今回は立ち寄らない。
点在する漁港をトレースするためには二又を山側に折れる。海側に行く官軍塚の道は山稜を通り、港へ向かう道は山側の急坂を下り、方角を海側に変えると官軍塚への道と立体交差するのだ。官軍塚ヘの道は逆に山側に方角を変え、山稜をたどっていく。
立体交差からの小さなトンネルを抜けると、そこは小さな漁港。
漁港を過ぎ、少しの上り坂とちいさなトンネルと同じだけの下り坂を下るとまた漁港。
どこも漁協と簡単な市場がある。
(漁港のまち)
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「こういうところって朝が早くて、夜も早いから、ちょうどこのくらいの時間がもう夕方みたいなんですよね。市場なんかもそうです」
とUさんが言う。
午後2時台。Uさんの言うとおり犬の散歩をする人や家の前でのんびりたたずむおばあちゃん、釣りをする人も一日の仕事を終えてただ糸を垂れているようだ。
「この雰囲気たまらなく好き」
とHさんが言った。
「あとどのくらいですか?」
とHさんが言う。
「20キロ」
と僕は答えた。
「えっ、だって勝浦出たとき25キロって言ってませんでした?」
「そう、だからこの1時間で5キロしか進んでないんですよ」
「時速5キロってこと!?」
そうそう、と僕らは笑った。
──海沿いの里道が進まないのは急な上り下りのせいじゃない。
◆
里道の海岸線トレースは一度国道128号に戻される。それを少しだけ走って今度は御宿の海岸へ出た。
「ここ来たかったんですよ」
とHさんが言い、砂浜に自転車を持ちこんで、月の砂漠像と一緒に写真に収めた。
御宿からも海岸線をトレースしていく。
サーフィンが盛んだ。
誰もがみなワンボックスやワゴンやハッチバックの車。なぜかと思えばリアゲートを開け放ちそこに脱いだウェットスーツをかけているのだ。セダンのトランクじゃこれはできない。それもそろそろ帰ろうかというサーファーの時間だからわかったこと……。
少しペースを上げようかと考えるのだけど、それができない。海沿いの集落、坂を駆け上った場所から見る大海原の眺望、里道。すっ飛ばして行ってしまったら旅にならないじゃん。サイクリングは自転車に乗るんじゃなくて旅をすること。少しずつ傾きつつある日と、冷たくなりつつある空気を気にしながらも何度も立ち止まって外房の海を堪能した。
(御宿から浪花、大原へ)
◆
大原に着いたときすでに午後4時を回っていた。
でも僕らは気にしていなかった。今日は車をデポしてきたわけだから出発地の道の駅おおたきまで戻らなきゃいけない。でもここからいすみ鉄道に自転車ごと乗ってしまおうと考えていたから。
いすみ鉄道は時間、曜日を問わず自転車の持ち込みが可能だそう。ただ混雑時には断られる場合があるという。念のためとそこはHさんが前日に電話確認をしてくれた。夕方の大原発であれば大丈夫ですよと。
もちろん輪行袋に入れて持ち込むことも可能。自転車をそのまま持ち込む場合は別途自転車のきっぷ210円を購入する。
僕にとっては初めてのサイクルトレイン。そして列車は「急行」の方向幕を掲げた、キハ52とキハ28の旧国鉄2両編成だった。
懐かしい青モケットのボックス席に腰を下ろすともうすっかり旅も終えた気分。このまま家の最寄り駅まで走って行ってくれないだろうかと思ってしまったほど。発車までまだ時間もあったので売店でマドレーヌと缶のおしるこなど買って発車を待った。けたたましいラッパの警笛と、アイドリングから回転数を上げたエンジン音で、列車はゆっくりと大原の駅を離れた。
(いすみ鉄道で大多喜へ)
この季節、5時をまわばもう夜と変わらない。大多喜駅の改札口を出ると真っ暗だった。駅前はやけにひっそりとして人の姿も見かけない。ホームのほうから聞こえるエンジン音は回送となって引き上げていくキハ2両。僕らもこの夜のなかをあと5キロばかり走る。
(Uさん、Hさん、素敵な写真をありがとう。いくつか使わせていただきました)
(ご一緒いただいたUさんのブログはこちら:秋の房総 山も海も(大多喜~勝浦~大原))
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