孤高の旅人たち‐18きっぷ鉄道旅・ぐるり上信越(1)
冬の18きっぷの最終回を、鉄道旅にした。
輪行に使うのにはもってこいだし、冬の有効期間は30日間と3シーズンのなかでもっとも少ないから、チャンスを生かしてどんどん輪行に出かけたいところ。
でも僕は鉄道旅も好きで、寒がりも手伝って冬場なかなかサイクリングに腰の上がらない身としては、18きっぷをフルに鉄道に充てるもありだ。各3シーズンとも、1回どころか2回3回と鉄道旅に充てていることだってある。
鉄道旅はいい。旅そのものもいいけれど、鉄道で旅をすると自転車旅の良さを再認識させてくれる。逆もまたしかり。自転車に乗っていると鉄道旅に出たときに、気づかなかった、とか、忘れていた、旅の見方に気づかせてくれる。
車窓を眺める。線路に並行するようにセンターラインもない小径が続いている。走る列車の視界から小径は消えることがない。
この道、自転車で走ると楽しそうだ──。
車窓はサイクリングのアイデアを提供してくれたりもする。
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鉄道旅にもふたつのプランを考えていて、ひとつが新潟県から福島県に走る磐越西線でもうひとつが長野県から新潟県に向かう飯山線。雪が見たくなったから。それならば、と選んだのが日本最高積雪を記録した飯山線。
(本日のルート)
高崎までは上野から高崎線の普通列車。高崎からは北陸新幹線で移動する。新幹線に乗るときは18きっぷが使えない。でも横川-軽井沢間の碓氷峠が廃止、信越本線が分断されて20年になる今、長野に行くには新宿から松本を経由するか、別の交通手段を選択するしかない。18きっぷを生かして新宿から松本経由で普通列車を乗り継いで長野に入ると昼をゆうに回ってしまう以上、飯山線を明るいうちに楽しめなくなるので、その選択肢はない。
北陸新幹線になって初めて乗った。車両は初めてのW7系が入ってきた。初めてづくしを20分。席に落ち着く時間もままならなず軽井沢に着いた。脱いで脇に置いたコートをすぐさま着たような、そんな乗車時間だった。軽井沢で下車して改札を抜け、しなの鉄道のきっぷを買った。軽井沢から長野まではかつて信越本線だったこの線で行く。
しなの鉄道の快速列車はひと駅ごとに混雑がひどくなり、終点の長野駅に着くころにはかなりの混雑になっていた。この乗客たちがみな飯山線に向かったらどうなってしまうだろう──いらぬことまで考えがおよんだ。
そんなことを考えながら飯山線に乗り換えたものだから、いよいよ今日のメインステージの気動車と対面しても湧き上がる興味があふれてこぼれるまで至らなかった。まず席を確保しなきゃ、そればかりを考え、軽快なアイドリング音を響かせながら止まっているキハ110系のドアボタンを押して乗り込んだ。
席は2両編成の後ろの車両のボックスに確保した。よかった、しなの鉄道の乗客がみなやってきているわけではなかった。そりゃそうだ、と思う。それからホームに戻って何かつまむものを探したのだけど、ホームには売店はなかった。自販機はあったのでお茶を買うのが精いっぱいだった。
(初・北陸新幹線はJR西日本のW7系)
(軽井沢からしなの鉄道に乗る)
(長野駅から乗車の飯山線キハ110系)
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「2両編成での運転ですが、後ろの車両は途中の戸狩野沢温泉で切り離します」
のどかな車内に女性車掌のアナウンスが流れた。僕が席を確保したのは後ろの車両、つまりこの席は途中で移動しなくちゃならない。せっかく確保した席だけど。
僕は席に荷物を置いたまま、前の車両を見に行った。──あいていれば移動しよう。
しかし上手い具合にあきはない。ボックスはひとりないしふたり客により絶妙なバランスで埋まり、ロングシートにポツリ、ポツリ人がいる。ロングシートなら、今確保している後ろの車両のボックス席で戸狩野沢温泉まで行き、そこからロングシートにすればいいやと思って僕は後ろの車両に戻った。
長野駅を定刻に発車した。
豊野までは旧信越本線の立派な路盤の上をゆく。走り出すと、これは電車なのではないかと思うほどの高加速。というより気動車だとあえて言われない限り知らずにいるかもしれない。
列車は飯山線の終点、越後川口ゆきだが、僕は途中の十日町まで乗るつもりでいる。そこで途中下車してみようと思う。そののちは未定。途中下車後、時間的にちょうどいい列車に乗ることになろうが、それがほくほく線なのか、飯山線の次の列車なのかは決めていない。
車内はすべてのボックス席のひとつふたつが埋まってあきがなく、ロングシートはふたつみっつ飛ばしてひとつが掛けている。立ち客もいる。それら客がひと駅ごとに少しずつ下車していく。降りるのは立ち客とロングシートの客ばかりで、ボックス席の客は長期戦を決め込んでいるように見える。それが戸狩野沢温泉までなのか、それともずっと先までなのかはわからない。いずれにしても地元から長野に行って用事を済ませてきたふうな乗客とは違うように見えた。
豊野を過ぎると左手に今はしなの鉄道線に引き継がれた、旧信越本線の妙高高原へ向かう線路が緩やかなカーブで離れていった。車窓にはリズミカルに飛んで消えていく架線柱がなくなり、列車の左右の揺れが大きくなった。速度も先ほどまでとは違い、速くない。
豊野からが線籍上も乗り味から見ても飯山線である。
もうひとつ、豊野から先、飯山線を象徴する風景が千曲川である。飯山線はこの千曲川(新潟県に入ってからは信濃川)につねに沿って走る。距離によって、あるいは地形の陰によって見えない区間もあるけれど、終点の越後川口までこの川と一緒だ。豊野を過ぎると右手から近づいてくる。
千曲川はすでに中流域に入っていて、雄大な川幅を持って流れている。
そのようすは、見慣れた関東の荒川や江戸川とは違う。あえて言うなら富士川とそれに沿って走る身延線に似ているように思う。天竜川と飯田線はどうだろう、伊那街道で天竜川と飯田線沿いに自転車旅をしたことはあるけれど、残念ながら飯田線で鉄道旅をしたことはない。
荒川や江戸川と違いを感じるのはおそらく屈曲の多さだと思う。スーパー堤防に護られた両河川が直線的に形成されているのに対し、千曲川は自然に任せて右に左に屈曲している。それもあってときに車窓から消えてまったく見えなくなってしまうのだろう。
◆
列車は戸狩野沢温泉駅に着いた。
停車時間が10分以上あるのでもともと駅を出ようと思っていた。地図で見た限り、駅前におみやげの文字も見えた。手に入れられるならおやきでも買って、引き続きの列車のなかで食べようなんて考えてた。
僕が乗っていた車両はここで切り離され、回送になってしまうので、どちらにしても荷物をまとめてホームへ降りた。いい天気だ。
最近あまりお目にかからない構内踏切を渡って改札口を出る。それだけで楽しい。
駅前には細い通りが一本だけ、線路に沿って走っているだけ。センターラインには融雪用のスプリンクラーの穴があいている。信号機は縦並びだ。雪国の街並み。僕は時計を気にしつつ道を歩いた。
しかしおみやげを扱うような店がない。僕が地図を鵜呑みにしすぎたか。おみやげ屋などはじめからないのか、店はあったが閉めてしまったのか、わからず終いだった。
出発前から楽しみにしていたおやきの喪失感は大きくて、なにかで補てんしようにもなにも手に入れることができなかった。おまけに確保していた座席も車両が切り離し回送のため失い、前の車両で席を探さなきゃならなかった。でもあいているボックス席などありゃしない、そんなことは長野駅停車中からわかっていた。ロングシートは間隔を置いてあいているが、僕は座らずに運転席後ろのデッキ部に立って前を眺めていることにした。
千曲川に沿った線路は半径の小さなカーブを繰り返し、上り坂や下り坂を織り交ぜながらスピードを上げずに進んでいく。周囲の風景はかろうして雪ではあるけれど、平均的な飯山線沿線の積雪量から考えれば極めて少ない。僕はもっと飯山線らしい深い雪景色を期待していた。じっさいそういう風景になるんだろうと思ってた。それは今年の冬、寒い日が多いから。埼玉県に住み、朝寒いなか起き、夜の冷たい北風のなか帰ることが多い日々で、今年の雪国は豪雪に違いないと根拠もなく思い込んでいた。だから雪国で暮らす人には申し訳ないけれど、物足りなさを感じていた。
戸狩野沢温泉で切り離された1両の車内は、途中駅で降りていった幾人か以外は明らかに旅人であった。そしてみなひとり旅だった。若い人もいれば僕くらいの年の頃合い、年寄りとも言える人まで幅広く、男性もいれば女性もいた。ボックス席に陣取り、静かに窓の外を見ていた。映画のスクリーンに映し出される映像をひとコマ足りとも無駄にしたくないというように窓を見ていた。ある人は地図を開いて対比しているようだし、ある人はつねに首から提げた一眼のシャッターボタンに指をかけていた。ロングシートにひと組だけ若い男女が乗っていたが、言葉を交わすわけでなくただ窓外を見ていた。それぞれがそれぞれの視点で景色を追っていた。そして僕が立っている運転席後ろのデッキには誰も立たなかった。鉄道趣味者、最近の言葉でいうなら乗り鉄であれば必ずやここに立つべき場所だろうに、ひとりもいなかった。みな、腰を下ろした座席から、それぞれの姿勢で、それぞれの向きで窓の外を見ていた。
旅人たちはみな、孤高であった。
1両のキハは森宮野原に着いた。
ここでまた列車交換も含めて16分の停車をする。県境の駅、ここで長野県は最後である。僕も含め、多くの人がホームへ降りた。僕も含め、多くの人が荷物をそのまま席に残して。
鮮やか過ぎる青空のもと、日本最高積雪地点の碑が天を突いていた。しかしながら今年の雪国は戸狩野沢温泉同様、驚くほど少ない。今年だけのことであろうに、碑がまるで過去のもののようにさえ思えた。そしていらぬお世話でスキー場の営業を心配し、夏の水不足を心配した。
この駅もまた構内踏切で駅舎に渡る。構造もよく似ていて、戸狩野沢温泉駅のデジャヴのように思えた。でもここの駅舎ではカフェのようなスペースがあった。床も壁も天井も扉も明るめの木で造られた空間に、カウンターとテーブルが何席かあった。中には誰もいなかった。それもあってここがカフェである自信はなかった。でも窓から斜めに差し込む日差しの部屋でコーヒーを飲むのは絶対に悪くないと思った。腕時計を見る。10分で済ませる場所ではない。──僕は駅の外に出た。
駅前に、スーパーとも取れる商店があり、こちらは店を開けていた。僕は戸狩野沢温泉で手に入れられなかったおやきを思い出した。車窓の美しい風景から目を離せずすっかり忘れていたが、今思い出した。店のなかをひと回りする。が、ここでもおやきを見つけることはできなかった。どう見ても駅前の商店だ、調理した品物を供するようには見えない。
僕は見つけたくるみゆべしをひとつ買い、改札を抜けて構内踏切を渡って列車に戻った。ロングシートに置いたままの僕の荷物は変わらずそこにいた。僕が降りて外へ出ていた時間を切り取って、前後をつないだようだった。
発車時刻までもう3分という時間なのに、対向の上り列車は現れない。関係ないのに、僕はそわそわしはじめる。なのに誰も──それは乗務員を含めたこの列車の乗客すべてが──あわてるようすひとつ見せない。1番線に列車が参ります、と無機質な自動放送が流れ、それから上り列車が悪びれるようすもなく入ってくる。──さあ旅を続けよう。僕は車内に戻ったが、先に発車したのはあとから来た上り列車のほうだった。
◆
列車は県境を越え、新潟県へ入った。と言ってもなにかが変わったわけではない。川の名が千曲川から信濃川に変わり、川は進路の左手に移った。駅名は越後なにがしという名前が多くなった。それくらいだ。
でもひとつだけ違っているように感じて、でももう戻れないから確認もできずにもやもやした。家の造りだ。沿線に見かける家は一階がコンクリート造りでその上に木造の二階三階が乗っている。雪国と言えば僕はこのイメージだった。かつてスキーをよくやっていたころ、出かけていた石打の民宿もこの造りだった。どの家もそう見える。
が、さっきまでいた長野県ではこういった構造の家はあまり見かけなかったように、今になって思えてきた。もう確認するすべもない。もしかしてこの造りは新潟県の家屋独特なのか? そんな疑問すらいだいて車窓を眺める。
そして列車は十日町駅に着いた。
僕はここで長野から乗ってきたこの列車から降りる。飯山線を全線走る列車だからこのまま越後川口まで向かうか僕はこの駅で長いこと乗ってきた列車と別れた。
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