三浦半島の海岸線をゆく‐行き止まりをめぐるサイクリング(Jan-2017)
冬になると三浦半島へやって来る。
でもそれは海が見たくなるからとかそんなセンチメンタルなものじゃなく、冬は寒いからという単純な理由だ。山や北の方面の内陸はもちろん、僕の住む埼玉県越谷市だって寒い。毎朝天気予報で見るたびに東京より3度から5度くらい低いのだ。都内が氷点下になる日があまりないのに対し、1月2月は氷点下の朝であることのほうが多い。
そんなわけで少しでも暖かさがあればと南方を求める。だからこの三浦半島や千葉の房総半島、足を延ばして伊豆あたりが冬のお出かけの中心だ。
三浦半島の南端部、三浦海岸や初声(はっせ)より南を走っていてかつてから気になっていたのが、入江にある小さな港や集落だった。海岸段丘の坂を駆け上って台地の上から海を見ると、小さく港や集落が目に入るのだ。
でもこれまでサイクリングで立ち寄ることはなかった。国道や県道の幹線道路から脇にそれること、海岸レベルまで下るから台地の上までもう一度上らないといけないこと、そして地図で見る限りどこも行き止まりばかりで、ピストンのルートを引かなくちゃいけないことから、興味が起きても行ってみようという動機までいたらなかった。
行き止まりもいいか──。
最近、そう思うようになった。
ルートを引くときにはピストンにならないように心がけていたから、結果的に行き止まりの土地は訪れない傾向が強かった。そのピストンルートが長いにせよ短い寄り道であるにせよ。
加えて、寄り道は快走の妨げにもなる。ロードバイクゆえの走りの楽しさを求める部分も少なからずあるし、道を外れてペースが変わると快走をぶつ切りにしてしまう。そんなこともあって、寄り道になる行き止まりの場所ヘルートを引くことは敬遠していたことが否定できない。
だから0メートルの海岸へ細い小径を下ることは、僕にとってきわめて新しいことに違いなかった。
あえて行き止まりを目指すのだ。入江の港や集落、今まで横目で見て素通りしていたそれらに足を運んでみようとルートを引いた。
(本日のルート)
三浦海岸から時計回りに出発した。
三浦半島をめぐるときは横須賀や横浜の金沢区あたりから出発することが多い。そして葉山や逗子へ。海岸線近くを海風を受けながら快走するのだ。観音崎、久里浜、長沢から津久井浜、三浦海岸と続く海岸線、台地を駆け上って城ヶ島や三崎へ。初声からは西の海岸を佐島、葉山と北上する。遠くには房総半島を眺め、それが伊豆大島になりやがて富士山になる。江ノ島も見えてくる。海を快走するサイクリングはそういった風景の展開を楽しみながら距離も長めになる。
今日はあえてその意識を捨てた。距離にしてせいぜい30キロから40キロ。入り組んだ迷路のような小径をたどり、今まで行くことのなかった海岸線に下りてみようと考えていた。
三浦海岸から県道で海岸線を行く。金田の漁港が現れそれを過ぎると台地へ駆け上る坂道があらわれる。ここまで、いつもどおり。上り切ると浦賀水道を望み、房総半島もすぐ近くに見える。台地は緑色に覆われていた。葉だ。大根の葉っぱだ。
僕は県道から脇道へそれた。初め、それはセンターラインと道幅を有していたにもかかわらず、進むにつれ──それは1キロも行かないうちに、だ──センターラインがなくなって道幅はどんどん狭くなった。
道は畑のなかのあぜ道のようになってくる。緑一面の畑に沿って何台も軽トラが止められている。どれも荷台にははみ出さんほどの大根が積まれていた。
大根は今がピークなのだろうか。残念ながら僕は大根の最盛期を知らなかった。すき間なく葉の緑で覆い尽くされた畑は収穫もピークなのだろう。軽トラの止まった畑では総出で収穫作業を行っている。多くは、僕よりはるかに年齢が上の夫婦だ。
「三浦(大根)ですか?」
僕は軽トラに積み込みをして一段落したオジサンに声をかけてみた。
「いや、青首だ」
収穫作業の忙しさゆえかいささかぶっきらぼうではあった。
僕が畑に植わった大根や、トラックに積まれた大根を見ていると、
「この先は行き止まりだよ、行っても何もない」
とオジサンが言う。僕は
「はい、ありがとうございます。行って、また戻ってきます」
と笑って答えた。オジサンはずっとけげんそうな顔をしていた。
道は軽トラなら何とか1台通れるであろう幅、ふつうの乗用車では難しそうだ。そこをときおり大根満載の軽トラが通る。ぎりぎりで道を通しているのに驚く。木々のあいだを通るときはボディをこすってもいるようだ。車が現れると僕は脇によって道を譲った。
道は土かぶりや砂利の様相になってやがて畑に突っ込むように行き止まりになった。きれいに刈られたあとなのか、今期は大根を植えなかったのか、土がならされただけの区画もある。畑の向こうは崖をすとんと落ちて海だ。緑一面の畑、多忙な農作業の台地の向こうには東京と変わらない──東京と外国をつないでいるであろう──タンカーや大型船が行き来していた。
行き止まりの道を戻る。戻るとは言っても完全なる一本道ではなく、枝葉の道がそれぞれ輪のようにつながっているところもある。僕はそれをたどって、次の行き止まリヘ行ってみる。するとまた大根畑に行きついて、終わる。そうやって台地を細かく、時計回りになめていった。まるで大根畑の中で道に迷っているようでもあった。
行き止まりをひとつひとつたどっていると、そのたびに短いが急な坂を下ってまた上る。勾配は半端なく10%どころではないように思う。行き着く先が見えてわかってるからいいけれど、山道のように長い坂がこの斜度で続いたらやめてしまいそうだ。
そのうちのひとつ、急激な下り坂が長く続き、上りかえすことがなく周囲が開けると、集落と海岸への入り口があらわれた。
(大根畑のなかをゆく小径)
(三浦半島行き止まり)
(大浦海岸への入り口)
海岸への道を下りるとまた行き止まり。そこには小さな小さな砂浜があった。誰もいなかった。大きな音でも立てれば住んでいる人が出てきそうなほど静かだった。それでもサイクリングシューズの硬い靴底の音は波の音に飲まれてしまう。行き止まりの海岸は、どこにも行くことないいつまでも消えずにここにあるよと言っているようだった。
そんな異次元の海岸でも海の向こう側には房総半島がしっかり見え、浦賀水道を行き来する大きな船が通過した。
(大浦海岸)
そのまま進むと開けた漁港に出た。たくさんの船が、いつ漁に行っていたのだろうと思うほど静かに停泊していた。漁には出ずにずっとここにあるのだというふうに。
入江を防波堤で護るように区切り、そこは波さえなかった。日差しがここちよかった。僕はビットに自転車をペダルで立てかけ、ひとつ離れたビットに腰を下ろした。
(間口漁港)
間口漁港から民家のあいだを行く小径は壁のような急勾配だった。体重のかけ方を間違えると後輪が滑ってしまうほどだった。道が狭いからジグザグに進むこともできない。ここ、住民の人たちは車で行き来できるのだろうか。タイヤが煙を上げてしまうんじゃないかって思う。
その坂を上り切ると、県道から剣崎灯台へ向かう道だった。ここは何度か通った道であるのに、記憶がよみがえってこない。仕方ないか、どこを見渡しても大根だらけなのだ。どの道にいても同じ風景にしか見えない。GPSマップを持っていなかったら道に迷っているかどうかさえわからないかもしれない。
剣崎灯台に上がる道の途中、海へ落ちるように下っている道があった。せっかくなのでそこにも下ると、今度は荒磯が広がっていた。
(松輪の荒磯)
この荒磯もまたなんという光景だろう。手つかず、というより手をつけようにもつけるところもない、人もやって来るわけじゃないし、なにがあるわけでもない、そんな場所だからここにずっと荒磯があって、それが何年も何十年も何百年も変わらずにあるのだきっと。
磯のなかにある白い搭は灯台ではなく照射灯だろう。その向こうに赤い灯台が見える。防波堤に立つ灯台だからさっきの間口漁港のものに違いない。
ここの荒磯とさっきの間口漁港は距離にしたら数百メートルしか離れていない。僕は自転車で一度台地へ上がって道をたどりここまで下りてきたから1キロ以上きているけれど、海伝いにたどれば数百メートルだ。さらに間口漁港から大浦海岸だって数百メートルだ。
これだけの近い間隔に砂浜と、漁港と、荒磯とがまったく異なる風景で存在している。それぞれが小さな入江を形成しているから互いが見えない。みな孤高の入江であり、孤高の風景だった。
坂を上って、剣崎灯台に立ち寄った。
何度か訪れたことのあるここも、いつも決まって人がいない。それでも剣崎の鉄塔を見上げて、それは僕が自分自身を現実世界に引き戻そうとしているようでもあった。
(剣崎の鉄塔)
少し、時計を気にした。
まだ10キロだ。もうお昼前、2時間もかかっている。
剣崎から県道に戻り、江奈湾への坂を下った。そのまま江奈湾沿いを駆け抜けて毘沙門の坂を上った。毘沙門天海岸への寄り道もルートに入れ込んできたものの、やめた。一度行ったこともあるし、このまま寄り道を全部くり返していたら何時になってしまうだろう。
でも、これまでのサイクリングの経験が通用しないときもあるんだと認識もした。
大根畑のなかを抜け、毘沙門湾で一度県道に戻った。坂を上って風力発電の風車の公園からまた小径へと入る。風車の下にはたくさんの自転車乗りがいた。
海への坂を下って今度は宮川湾。
ここの入江も初めてながら、ここにある「みやがわベーグル」というお店に立ち寄ろうと思っていた。
(みやがわベーグル)
何でも今日が今年の最初の営業、昨年は12月10日で営業を終えていたらしい。若いふたりで切り盛りしているお店は角材で組まれた柱に透明の塩ビ波板を壁として打ち付けてあるだけの、言わば小屋。以前は釣具屋だったと言っていた。そこに白くてピカピカのキッチンをこしらえ、ベーグルと地元野菜を中心にしたサンドのタネが並ぶ。僕はベーグルサンドとスムージーを頼んだ。建屋のなかにはプラスチックのガーデンチェアが置いてある。ここで食べていいですかと聞くと、どうぞと言うのでここに座らせてもらった。
「ここをどうやってお知りになりました?」
と女性のほうが聞く。
「今日のコースを計画しているときに地図でここの名前を見つけたんです。それからネットでその名前を検索して……」
そう僕は答えた。
「わかりにくくなかったですか? 入ってくるところ」
「そうですね、わかりにくいですね。──看板とか、出したりしないんですか? 上の道に」
「出してないです。出さないんです」
そう言って彼女は笑った。
店の前にはバイクラックがあり、僕の自転車はそこにかけてある。
「よく、自転車に乗られる方も寄っていただけるんです」
彼女はそう言った。僕がベーグルを食べているあいだ、4、5人組の自転車が前を通っていった。中で腰を下ろしている僕を見ながら、坂を上っていった。
(ベーグルとスムージー)
(城ヶ島大橋からの富士山)
「おいしかったです、ごちそうさま」
そう言って店を出て、もう午後1時に近いことに気づいた。少しだけ悩んで城ヶ島へ渡り、しぶき亭に寄ってみた。ベーグルを食べたからもう食べなくてもいいかと思ったけれど、結果的に言うとかえって食欲を呼び起こしてしまった。城ヶ島はいつも来ているから今日くらいスキップしてもいいかなと思ったけれど、その食欲で食べていこうと思った。
まぐろカツ定食を頼んで、このあと計画していた油壺・諸磯湾周辺の行き止まりに行くのをやめることにした。
こうやって進んでいると、今までのサイクリングのようには距離を走れないのだ──。
しぶき亭はいつも「自転車ですか?」と聞かれる。「そうです」と答えるとなにか一品つく。今日はイカフライをいただいた。
「えんぺら、よかったら持ってって」
食事を終えて精算を済ませると、店のオジサンがおみやげのコーナーに呼ぶ。「ふだんはやってないんだけどさ……」と言って、イカのえんぺらを見せた。5枚で百円。それがふた皿。もう最後だから持ってってと言う。
僕には正直安いのかどうかすらわからなかった。でもまあいい。このオジサンは会話好きでいつも気のいいことを言う。僕はじゃあいただきますよと言って包んでもらった。寒くなって来たからね、気をつけてよ、オジサンはそう言って袋を手渡した。
午後2時。
日の傾き始めた城ヶ島大橋を渡っていると、左手に富士山が見えた。
そう言えばここのところサイクリングに出かけても、富士山はその姿を見せてくれずにいた。江ノ島、伊豆──どこもそうだった。天気はいいのに富士山だけが雲に隠れいていた。
僕は橋の途中、あおられる北風のなか、歩道に上がり自転車を止めた。
久しぶりに見る全容だった。
(しぶき亭であらためてしっかりごはん)
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