シェイクダウン日光詣(Sep-017)
S君の真新しいキャノンデールはまぶしくて、ほれぼれする恰好よさで、好天のもと、輝きを放っていた。ずっと関東平野の坂のない道を北上してきて、最初に現れた坂は太平山への林道で、一本道だから思う存分走っていいよって言うと、彼はクイックイッと軽快な立ちこぎで上って行った。グイッグイッて感じじゃない。しなやかに、軽さをいかした登坂で、カーブをふたつみっつと越えるたびに背中は小さくなり、やがて見えなくなった。
「軽いです。びっくりです」
僕らは太平山、謙信平の茶屋でだんごを買い、ござの縁台に座って食べた。あんこにからめた白玉だんごと草だんご。それをふたりでつまみながら、これまで乗っていたクロモリの自転車との違いを語ってくれる。やっぱり軽さ、特に坂でこんなに違うとはと驚きを話してくれる。それならばよかった。ここに上った甲斐があったってもの。なにしろ謙信平からの眺めは霞んでしまって眼下の水田やぶどう畑でさえはっきりしない。冬場なら絶景写真のような風景になる筑波山や東京都心なんて期待する由もないほどだったのだから。
「上がモミジで前がサクラ。どっちもいいよ」
「いいですね、その時期に来たいです」
「とんでもなく混んでるけどね」
僕らは坂を下って栃木市内に出て、名物だしせっかくだしと芋フライを食べた。
◆
(今日のルート)
(GPSログ)
新車のシェイクダウンは、お金がなくなってしまったのであまり遠くないほうがいいとS君は言った。だから適度に勾配があって、ある程度距離が走れる日光へ行こうと提案した。日光であれば高くない東武線で帰ることができる。
久喜駅前で待ち合わせをし、日光へ向けて北上した。利根川を渡り、渡良瀬遊水地の脇を抜けて渡良瀬川を渡って、みかも山を望む平野部を走った。変速不具合とかそんな初期不良に手を入れながら、太平山にたどり着くまでは坂らしい坂も現れない関東平野の広さを実感しつつ、自転車にも慣れるよう走り続けた。
太平山は単調さに飽きた身体にもインパクトがあったし、中だるみの気分にもちょうどいい転換だった。休憩し、栃木市内を経てさらに北を目指す。きわめてゆるい上り基調とはいえほぼ平坦にしか感じられないような県道3号の旧道と国道293号、いわゆる例幣使街道で鹿沼へ向かった。
▼ 太平山謙信平から望む関東平野 霞んで何も見えない
▼ 下った栃木で芋フライを食べようと訪れた大豆生田商店。これまで自転車を置く場所もなかったのにバイクラックが登場(でもなんと鉄棒)
▼ これだけでおなかいっぱいになる芋フライ
そうはいっても距離があるルートだからだんだんとくたびれてくる。もちろんそれも目的で、長距離走行でS君の新しい自転車が果たしてどのくらいの疲れ具合になるのかを把握することは必要だったから、願ったりかなったりの成果ではあるんだけど、何も僕がこんなに疲労する必要はないなとこのときになって初めて思ったりした。自分でばかばかしく苦笑いした。
☆
同じころ、大田原のYさんが塩原から湯西川に抜け、日光を目指して走っていることを知った。S君にそれを話すと、「合流しましょうよ」と言う。そうなると行程が若干変わってくる。ルート最後に組んでいた、厳しかった印象のある滝ヶ原峠を、新しい自転車を試しつつゆっくりゆっくり上り、そして下ったら温泉でも入って帰ろうよとタオルを持ってきたプランだったけど、これによって日光に時間を意識して向かわなくちゃならなくなった。「いいじゃないですか、行きましょうよ」と元気なS君にむしろ背中を押されてしまった。
東武日光駅前で落ち合いましょう、と言うYさんに、
「こちらはまだ鹿沼市に入ったばかり、市街地にも到達していません」
と連絡を入れた。
自分の記憶力と距離感なんてこんなにもアテにならないんだな、と思った一日だった。もちろんYさんと合流しようという話が出てくるまではそんな意識もなく、時間を気にせず走っていたのだけど、その縛りが出てきた途端、当然だけど頭のなかでは距離感にもとづいたおおよその時間を組み立てる。それがことごとく外れるんだ。それは時間計算を誤っているんじゃなく、自分の記憶で持っている距離感が全然ずれているんだ。鹿沼市に入って長いこと走りながら「鹿沼の中心街ってこんなに離れてたっけ?」と思い、その先も「東武線のひと駅間ってこんなに長かったか?」と思い、そして「小来川ってこんなに遠かったか?」と地図さえ見なおしてしまうほどだった。
だから小来川にたどり着くころ、僕はへとへとにへばっていて、僕はS君に、
「そばが食べたい。この先にそば屋があるんだ」
ってお願いした。ボトルのなかのスポーツドリンクに飽きてしまい、まだ三分の一くらい残しているのに口に運ぶことを拒んでしまった。あの味がつらい、そして同時に塩ッ気のあるものが欲しいと身体が言っているから。
「いいですね。でも時間は大丈夫ですか?」
「たぶん大丈夫。──それよりしょっぱいもの口に入れないとこの先に行けなさそうで」
塩分を身体が欲した場合、そばやうどんの汁系でそれを摂るほうが僕の好みだ。干し梅や塩昆布のような塩分の多い固形物を持つ方法もあるけれど、それじゃどうも身体は満足しないよう。今も空腹というよりただ塩分が欲しいみたいなので、食べる量はいらない。だからそばつゆ、うどんつゆはありがたい。これまで何度かそばやうどんに助けられた。しょうゆ文化のニッポンに感謝しないと。
覚えがあったのは、小来川から滝ヶ原峠へ向かう県道にある、山家(やまが)。しかしこれがまた遠かった。小来川までの距離感も時間にして15分くらいずれていたし、ここからそば屋までがまた遠くて、そばを食べると言ったものの、食べるに至るまでに動くことが億劫になってしまいそうだった。
僕らが自転車と気づくや、山家のおばちゃんはお茶とは別に水を用意してくれた(山家はどうやらおばちゃんたちで切り盛りされている)。美味しい水だからねと何度も強調する。もっとも日光は水のおいしい土地として名が知られているから、それはそれで正しい。
頼んだもりそばは
「自転車だからね、ちょっと多めにしておいたからね」
とおばちゃんが言う。確かに盛りが若干多いように思った。大丈夫かなあと一瞬不安に思ったけれど、食べてしまうとなんてことはなかった。満腹で身体を重くした栃木の芋フライは、いつの間にかなくなっていたみたいだ。
▼ 小来川から滝ヶ原峠へ向かう県道277号ぞい、山家は真新しい清潔感高いそば屋
▼ するっと食べられるもりそば
おばちゃんが美味しいと言ってはばからない水を、ボトルに入れて欲しいとお願いした。もうスポーツドリンクを飲みたくなかったから、中を捨てて空にした。こころよく応じてくれて、渡したボトルは日光の水でいっぱいになって返ってきた。
滝ヶ原峠は厳しい坂だ。僕の体感的にはほぼ10%、それが斜度を緩めることなく峠まで続く。ただ距離はそれほど長くなく、1キロかもう少しといったくらい。
僕の記憶はそうで、S君に1キロばかりの恐ろしくきつい坂が続くからと伝えた。その代わり上り始めちゃえば1キロだから、とも言った。そしてその記憶は、小来川から平坦にも似た緩やかな上りがほんの少しだけあって、上りはじめたらその1キロ余り、というものだった。
僕は、S君にとんでもない嘘を言った。
県道277号は大型車が通行禁止で、その標識が現れる。
もとより道が細く、すれ違いが困難なのがその理由だと思うけど、峠へのつづら折りはそのヘアピン半径が小さくて曲がり切れない恐れがあるのと、急斜面によるヘアピンの高低差が大きすぎて、下手をするとホイールベースの長い大型車はお腹を擦ってしまうからじゃないかって個人的には思っている。
大型車通行禁止の標識から上り基調に変わり、いよいよかなと思う。S君にもそれを告げる。一本道だから彼は自転車を振って上って行った。
しかし道はしっかりとした上り坂になった。
その上り坂は、僕の記憶の10%の上り坂じゃなく、でもそこそこの斜度の上り坂だった。僕にすればじゅうぶんな峠道で、じゅうぶんな斜度だった。
(この斜度で1キロだったっけか?)
一瞬、そんなことを思ったけど、そんなわけなかった。
長い坂道だった。何キロ来ただろう。それなりの斜度で、ときおり平坦を交えながらもそれがなくなって上り続け、横を並んで流れていた川は沢になり、やがて転がる岩になり、草と木の根のあいだに消えた。しっかりとした峠道だった。へとへとになり、こんな道だっけと自分をまじまじと疑ったころに現れたのが記憶の坂だった。
──これから1キロだっけ?
峠で、僕はS君に、この記憶違いをどう訂正していいのかすら思いつかず、謝ることも忘れて何も言えなかった。
すっかり、だましてしまった。
車もバイクも自転車も来ない峠で息が落ち着くまで休憩する。そして誤った距離感は時間にそのままハネて、思っていた時間に着けないことをYさんに連絡をした。今、やっと滝ヶ原峠に着いたと。ほどなくしてYさんから返信が来た。ゆっくり気をつけてどうぞと書いてあるのだけど、その行間からYさんはすでに到着している雰囲気を感じ取った。Yさんは15時半から16時になりそうだと言った。予定より早く着いているのだ。
汗もまだ生乾きのまま、呼吸だけが落ち着いた時点で下り始めた。
急で、ヘアピンばかりで、長い坂だった。
▼ 県道277号をゆく
▼ 滝ヶ原峠最後の急坂Z坂
▼ 林道どうしの交差点、滝ヶ原峠
◆
「前に来てくださいましたよね!」
驚きのあまり大きな声になってしまった感じだった。でも驚いたのはむしろ僕のほうだ。
東武日光駅前でYさんと落ち合い、じゃあ三人でお茶でもしましょうと言ったものの、栃木のYさんも日光は知る店がなくてと言うので、なら僕が前に寄ったことのある店に行きましょうかと坂の途中にある焼いもの喫茶「千両茶屋」に来た。自転車を並べて置くのをS君にお願いし、三人いいですかと店に聞こうと思ったときに驚きながら僕を指差しながら奥さまが出てきたのだ。
「そうですそうです」
そう僕も言いながら、「でももうずいぶん前のことですよ、覚えてるんですか?」と驚きの返答をした。あとで掘り返してみればもう4ヶ月も前だった(→焼いものカフェ)。
あの日はUさん、Mさんと日光いろは坂を上り、千手ヶ浜へサイクリングをした日だ。くしくもそれはいろは坂の途中でS君と出会った日だ。意気投合してカレーを食べ、4人で千手ヶ浜まで向かったのだ。
「あの日寄るって言ってたところがここだったんですか」
とS君が言う。千手ヶ浜までまわって予定よりも時間が押してしまったS君はあの日、国道120号のゲートで僕らと別れ、全力でいろは坂を下っていった。僕は、そうだよと答えた。
驚く僕を見て、
「覚えてました。すべてのお客さまを覚えているわけじゃないんですけど、来た瞬間、あっと思いましたよ。すぐわかりました」
と彼女は言った。
あの日とは違い、今日は暑い一日だった。僕はかき氷を頼んだ。
百キロという僕にとっての長丁場は、くつろぐというよりもうぐったりで、ゆっくりゆっくりかき氷をすくった。同じようにかき氷にしたS君は、長距離を走るコツをYさんにとことん聞いていた。Yさんは時間があれば二百キロも三百キロもサイクリングしてしまう人だ。今日は出遅れて昼前の出発になったから、帰ったら160キロくらいかなあと言っている。僕は驚き、S君は興味津々に聞いている。
ここのかき氷は今市の松月の氷を使っているのだそうだ。
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