奥久慈パノラマライン(Sep-2017)
偶然にも同じころに負傷(……なのか不調なのか)していたUさんとMさんが同じように回復したようすだったので、快気祝いをしましょうよってふたりを呼び出して乾杯したのが水曜日、そこでもう走れると結論に至ったふたりをうれしく思い、僕がなかば強引にサイクリングを計画した。輪行でふたりとサイクリングに行くのは何ヶ月かぶり、天候不順で右往左往させられた夏もいつの間にか終わっていて、秋の澄んだ風に変わっていた。
JR水郡線の山方宿駅で降りたのは僕ら三人と中年夫婦一組。ぴかぴかしたステンレスの気動車が軽快なエンジン音とともに電車のような高加速で出て行くと、ローカル線の山あいの駅らしい、静かな時間が訪れた。
改札を出るとYさんが待っていた。栃木県の大田原からここまで自走でやってきた。茨城県北を走るサイクリングに行く計画を話したところ、合流しますと言ってくれ、朝もそうそう50キロにおよぶ距離を走ってここまで来てくれた。
その茨城県北コースは奥久慈パノラマライン。
地図を眺めていてその名前を見つけたとき、すぐに名前に負ける僕はどんな道かもわからずこれをテーマにしたルートを引いた。順序が逆だけどルートを組み上げてから調べてみるとどうやら林道だということがわかった。もういい、時間もないしじゃあ奥久慈パノラマラインって道がどんな道なのかを見に行くサイクリングにしよう。そういうことにした。
◆
(本日のルート)
(GPSログ)
「今日はひよっこの最終回なんですよ」
と自転車を組みながらUさんが言う。同調するMさん、ふたりは毎日NHKの朝ドラを見ている。今回の朝ドラはこの茨城県北が舞台で、奥茨城村と言う仮想の名でまさにこのあたりを題材にしたストーリーだったらしい。
見ていない僕は最終回などとは知らず、ただ自分の興味でこのルートを引いただけ。たまたまの偶然。
「録画してあります? 大丈夫ですか?」
と僕が聞くと、
「大丈夫、もちろんしてあります」
と万全の答えだった。もちろんMさんも録画予約済み。帰ってからじっくり見るそうだ。
ここは水郡線と久慈川が並行して走る。それに並行する国道118号を行けば僕の大好きな道路、川、鉄道の三つ巴の風景が展開されるのだけど、今日は駅を出て早速久慈川を渡り、山あいへと入った。
まずは県道249号を行く。
山あいとは言えそんなに高い山があるわけじゃなく、標高二百から三百くらいを行ったり来たりする。農村集落を緩やかな坂道で通り抜けて行く。「いきなりいいなあ」と後ろからMさんの声がした。
それほどきつい勾配ではないながら緩やかに坂を上っていくから、周囲の水田も階段状に作られている。左右に迫る山があるから開けた場所ではない。僕の見慣れただだっ広い関東平野の一面に広がる水田とは違う、手狭ななかでの風情を感じる。棚田のような農耕車が入れないような小ささじゃないけど、こういう土地は面倒さがあるんだろうなと思う。それでも集落には豪農と言えるような大きな家も目にした。
もちろん水田だけじゃない。野菜や果物を作っている畑もある。ひよっこも、お米じゃ食ってけねえからって水田を花に転換してましたねえとUさんが言った。へえそうなのか。
▼ 出発の山方宿駅
▼ 県道249号の緩やかな坂を行く
県道249号から分かれ、県道322号へ入った。
県道249号を走っているときからそうだったのだが、当たり前のようにセンターラインがなく、当たり前のように道幅が狭かった。県道322号に入るとよりいっそう顕著になって、これすでに林道なんじゃないのって思えた。車のすれ違いが困難な場所だってあるし、舗装こそされているものの路面の荒れた場所も少なくない。
でもそんなところを走っていても感じるのは、家々が途切れず存在する驚きだった。たいてい、僕の経験だと鉄道から離れて、あるいは幹線道路──ここで言うなら国道118号──から離れて、距離を経るごとに家々が減るのだ。家と家の間隔がだんだんと長くなり、そのあいだは水田だったり畑だったり、もちろん荒れ地も現れ放置されている場所とわかり、そして思い出したように民家が現れる。これはやがて電柱もなくなって電気の通わない場所になるんだろうなって思いながら走ることがほとんどだけど、ここは違う。家が途切れることもないし、その間隔も一定だ。まるで全体がひとつの集落であるように。
鉄道や幹線道路から離れた場所で──この県道249号と322号は幹線道路とは言いがたい──集落が形成されているのは驚きだった。
▼ さらに狭くなった県道322号を行く
その県道322号上で、「奥久慈パノラマライン」の看板が現れた。
立派な林道だ。
全線舗装されている。センターラインはないけれどすれ違い可能な道幅は確保されている。説明を見れば開通が15年前と比較的新しいから、林道にしては高規格なものになったのだろう。
しかし勾配がきつい。それがここまでの県道とは違った。四人のペースがバラける。でも登坂は長くなく、ピークに至ると視界が大きく広がった。
なるほど、パノラマだ。
▼ 県道322号から上り坂で分岐する奥久慈パノラマライン
▼ ここから14キロ、期待の旅
▼ 急な坂を上るとはるかな奥久慈の遠景を望んだ
「パノラマ詐欺ってことないですよねえ」
奥久慈パノラマラインの入り口でUさんが言った。日本各地を自転車で走りまわっているUさんは、名前負けした道をいくつも知っている。
「スカイライン詐欺っていうのもありますよ」
僕も話題に便乗して笑った。
しかしほんの少し坂を上った場所で見た風景にいきなり心をつかまれたのがこの道だった。
さんざん写真を撮って、先へ進んだ。道は下りに転じたのだけど、長く続かなかった。すぐに上りになり、急な登坂はまたみんなの意識とペースと秩序をバラけさせる。
何キロか進むうちに、この道がそういう構成なのだということに気づいた。決して尾根上を進むスカイラインの名を持つような道ではないけれど、迫る山に合わせた上り下りを繰り返す。斜面に逆らわずつけられた道は斜面に合わせた勾配で進んでいく。
沿道にはときおり集落がある。さっきまでの県道249号や322号のように大規模な集落ではないけれど、人家がかたまりになって現れる。なるほど道はこれら集落を結ぶために造られたんじゃないだろうかと思い始めた。人が暮らす以上道路は必要だし、道路があるから人々は暮らしていける。
そうなるとこれは伊豆みたいなものか。伊豆は東も西も南も、港のあるところに集落がある。道路は海岸線を結んでいるけれど、海岸段丘の急峻な地形は海までせり出し、集落を結ぶ道路はやむなく段丘の上まで駆け上がる。港や集落のある場所は海抜0メートルまで下り、そのあいだは段丘、ときに百メートルも二百メートルも上って下る。
この奥久慈パノラマラインも上っちゃ下ってを繰り返す。でも尾根上を貫くなんとかスカイラインと呼ばれそうな道じゃない。集落をつなぎ、山肌を縫う。
ときに10%になろうかという勾配もある。そういえば最初にGPSiesでルートを引いたときに細かいながらも色濃くなった標高の折れ線グラフを見た。「すんごいノコギリでしたし」とMさんが言った。
トンネルが立派だった。口径が大きく、林道には不釣り合いだった。長くはない。抜けると車が何台も、並んで止められていた。
奥久慈パノラマラインに入ってから、一台の車もすれ違わず抜かれもしなかった。もちろんバイクも自転車も、徒歩の人さえ。
「トレッキングですね。──男体山」
さっきからパノラマ景観のなかの、まるでシンボルでもあるかのような岩山の鋭い頂が見えていた。それが男体山であるようで、止められた車の数からみて静かなその人気も感じた。
それからも岩山はしばらく姿を見せ続けた。多方面からその山容を望める独立峰のようだった。
道は男体山を背にし、今度は長福山の中腹部を丸く描くようにまわりこんだ。そのあいだも上りと下りを繰り返し、ときに10%を感じさせた。平らな箇所などひとつもなくて、上っているか下っているかだった。奥久慈の山の連なりがパノラマとなり、どこまでもその名のとおりの道だった。
そして一軒の、重量感あるログハウスにたどり着いた。
▼ 男体山をまぢかに望む男体トンネル
▼ そして続くパノラマと坂道
ログハウスはカフェだった。しばらく集落も途切れた林道のなか、現れた。ランチには時間も頃合いだった。まだ行けるかもしれないが、そう選択肢のない場所だ。スキップしたら次が何時か想像がつかないし、ほかに否定する理由もない。
僕はピザを頼み、ケーキまで頼んだ。
外のデッキに置かれたテーブルで、暑くもない寒くもない、風もない湿度の低いからっとした空気と空の青と山の緑のなか、まるでハンモックにでも横たわって揺られているような錯覚を覚えた。居心地良くくつろいで、4人でいろんな話をした。天気も風も空気もずっと変わらずに止っているように感じた。空の雲も流れていないように見えた。時間も。
紅葉のときにまた来てみようかなって思いました、とYさんが言った。今日この奥久慈パノラマラインを走ってのストレートな感想だ。このログハウスを自身の手で建てたというオーナーが出てくるなり、
「紅葉は特にお勧めですよ。またぜひ来てください」
と言った。
▼ カフェ遊森歩(ユーモア)で昼休息
▼ ピザ、コーヒー。オープンデッキのテラス
久慈川沿いに戻ってききた。途中、奥久慈パノラマラインは静かに終わり、そこで国道461号に吸収された。国道461号からは県道33号に抜けた。刈られた稲が列をなして干されていた。傾き始める日差しがもう夏は終わったのだと言っていた。でも秋の始まりは夏の終わりではなかった。夏の終わりはとっくにどこかへ行ってしまった。
走りながらMさんが後ろで「みね子の家のようだ」「とき子の家もあるじゃないか」と言った。朝ドラを見ていない僕にはわからないけれど、秋の始まりの奥久慈の風景は奥茨城村の風景にぴったりはまったジグソーパズルのひとコマのようだった。
右手に滝を示す看板があり月待の滝という。Uさんが以前、棚倉から水郡線に沿って水戸まで下ったとき、この月待ちの滝に立ち寄ったそうだ。今回は通過し、そのまま常陸大子の駅まで走った。
▼ まさにひよっこを思わせる風景
▼ 澄んだ水の久慈川に出てひと休み
意外にも地方の町の駅前はこれが見つけられない。喫茶店もなくなってしまい、座れるコンビニでもいいのだけどそういうものは郊外のロードサイドに出なけりゃない。
でも常陸大子にはあった。100メートルくらい駅前を抜けたそこにちいさな古民家カフェがあった。おばちゃんが、僕が興味ありげに覗くと、どうぞ寄ってってと手で招く。三人なんですがと僕が言うとはいはい早く早くと招き入れた。
店を切り盛りしているおばちゃんが果たして何人で、そこに遊びに来ているおばちゃんが何人なのかよくわからないが、数人のおばちゃんが朝ドラひよっこの最終回で盛り上がっている。Uさんが「今日これから帰って見るんです、それ以上言わないで」と言うとみな笑った。
「よかったよぉとぉっても」
「ほぉら、私らちょうど同世代だからぁ」
やっぱりテレビの影響力はすごい。朝ドラは町に笑顔を残して終わったみたいだ。
▼ 常陸大子駅前で立ち寄った古民家カフェ
▼ 駅前の蒸気機関車と最新の気動車
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