旧甲州街道、笹子峠 – 輪行旅 その1

 ここを歩いた北斎も広重も描かずにはいられなかったのかもしれない。でも残念だけどどう見たってあれだけの富士の全容を見ることはできない。僕の目の前には秩父山系から南に連なる山々、丹沢山系の甲相国境の尾根、道志の山塊や御坂につながる山稜が幾重にもあり、そこから富士の頂がお気持ち程度にのぞいているだけだ。だけどすそ野近くまで描かれた彼らの絵にはここに来ればそう思わせる何かがある。旧甲州街道、犬目宿。前週11月の雪を関東にもたらした今日、まっ白に光る富士山が迫力の大きさで僕に迫ってきていた。



 朝の上野原駅は僕が想像する以上に人が降りた。多くはここ上野原へ通う高校生でありスーツ姿のビジネスマンもいた。週末の趣味人は大半が登山客だった。ここからも楽しめる登山コースもあるんだ、とトイレや改札での行列を僕は見ていた。それに混じった輪行客は僕らだけ。輪行客の多い中央本線もみなもっと先へ向かっていくのだろう。今日はUさんMさんとここから旧甲州街道をたどって西に向かうルートを取る。


(本日のルート)

(GPSログはこちら


 上野原駅前のバスの止め方を見て、果たしてどこをどうするとこの狭いスペースに入るのかが理解できず、出入りの瞬間は自転車を組み上げる手を止めた。神業だ。入ってくるバスと出て行くバスもちょうどいい具合にすれ違うようダイヤが組まれ、かつ無線でもやり取りをしているようだった。複雑緻密な駅前利用に感嘆しつつ、出発の準備をした。


 駅から甲州街道に出るには、典型的な河岸段丘の地形を急峻な坂で駆け上がらなくてはならない。何段目の段丘面になるのだろう。駅が段丘崖下にあり、街や街道が段丘面にあるのはスキーで行く沼田によく似ている。ただスキーの場合車で行ってしまうので駅に寄ることはなく、それを体感する機会は少ないのだけれど。

 上野原の街なかを行く旧甲州街道は国道20号だ。しばらくは大型車も多く含む交通量のなかを行く。午前9時前、街は動き始めたばかり。少しだけ食指の動いた名物酒まんじゅうだったけどまだどの店もやっていなかった。

 上野原の街をはずれまで来ると国道20号はかつての甲州街道を捨てて、中央本線のルートを取り段丘崖を駆け下りていく。旧甲州街道は右に折れ──というより上野原の街からは直線的に──、西の鶴川宿を目指す。こちらも一度段丘崖を下り、稼いだ標高を一瞬で吐き出す。谷底で桂川の支流鶴川を渡る。江戸時代はここが唯一の徒歩渡しだったそう。

 鶴川、野田尻、犬目と続く宿は河岸段丘の高い段丘面の上にある──中央道の談合坂周辺と言えばわかりやすいか──。したがって僕らは段丘崖についた急な坂道を何べんも上っていくことになった。


(どうやって入れた?……上野原駅前に駐車中のバス)

(鶴川宿をゆく)


 国道20号の交通量や喧噪、幅寄せが嘘のように静かな旧街道。このあたりの宿場町は一村一宿といわれ、村がみな宿場をやっていた。つまりは宿場イコール集落で、そのあいだは静かな山道が続くのみだ。

「冬の道は静かですね」とUさんが言った。「ほかの季節と違って動物もじっとしてる。虫も鳥も鳴かないから、驚くほど静かになる」

 言われて、確かになるほどとうなずいた。ひどく静かだ。


 静かさを楽しむように旧街道を走る。



 僕は犬目宿で楽しみにしていたことがあった。

 北斎の浮世絵だ。甲州犬目宿と題された絵は富嶽三十六景の一枚。旅人がのんびりと坂を上っていく(やっぱり坂なんだ)絵は、大きく見事なまでの富士山が描かれている。この絵の構図を見てみたい、その興味を持って今日ここへやってきていた。

 道端に車の駐車スペースを備えた展望台が道端にあった。

「ここですか」

 と僕は言う。

「わからないなら、怪しければ立ち寄っておきましょう。そうだったら後悔するし」

 Uさんに言われ、上り坂の途中にある展望台に立ち寄った。

 そこから進むことしばし、宝勝寺という寺を通過する。

「富士の眺めをお楽しみください、って今書いてありましたよ」

 とUさんが言う。「しかも北斎が富嶽三十六景を描いた場所だって」

 僕らは自転車を止めて参道の石段を上がった。


(静かな旧甲州街道をサイクリング)

(展望台からの富士山の眺め)

(宝勝寺からの富士山の眺め)

(北斎・甲州犬目宿)

(宝勝寺の説明)

 犬目から鳥沢へはまた段丘崖を駆け下りる。桂川へ飛び込むように。



「街道を離れますね」

 国道20号沿いの鳥沢宿をながめつつ僕は後ろのふたりに声をかけた。

 国道からじゃ左に折れさらに坂を下る。中央本線の線路もくぐって降りたそこはもう河岸段丘の谷底。桂川をまぢかに眺める古風な橋でその流れを越えた。上空はるかに、僕が外から眺めたかった中央本線の鳥沢鉄橋が架かる。

「いつも中央線に乗っていて、ここを外から眺めてみたいと思ってたんですよ」僕はNHKの鉄道関係の番組でこの鉄橋を桂川の流れから望む映像を見たことがあって、そう思っていた。さすがにこの季節、川べりに下りてそれをしようとは思わなかったけど、この付近を自転車で走るならそのとき立ち寄ってみようとずっと考えていたのだ。交通量が多くて道の狭い国道20号をできるだけ避けるルートという意味もあった。

 対岸の段丘崖を駆け上がると大きな緑色のトラス橋と同じ高みに出る。三脚を据えて鉄橋に向かってレンズを構えている人がいた。が、ファインダーを覗くことはなく離れたところに腰を下ろしてスマートフォンを操作している。ってことはまだしばらく列車が現れることもないのだろう。列車の走っていない鉄橋を写真に収めて先に進むことにした。


(中央本線・鳥沢鉄橋)



 猿橋で国道20号に再び合流し、ここから大月の駅まではこのまま行かざるを得ない。途切れない並行路がないから脇に入れないのだ。入ってもすぐ国道に戻される道ばかりで、今度はこの交通量ゆえ合流しなおすことのほうが大変だ。

 断続的なのろのろとした進みに巻き込まれて、大月駅前にたどり着いたのが11時半。頃合いと、この先のルート決めも踏まえて、ここで昼食にしようと言った。


 この先、今日のためにふたつのルートを用意していた。ひとつはこのまま甲州街道を進み、あわよくば笹子峠旧道を越えて甲斐大和の駅まで向かおうというルート、もうひとつは富士急行線沿いに進んで、富士吉田あたりまで行ければというルート。

 それを昼食を食べながら考える。

「おつけだんごっていうのが大月にあるんですよ」


(昼食で食べたおつけだんご)


その2へ続く……)


※お二方の写真も使わせていただきました。ありがとうございました。

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