旅先で飲むコーヒー
ちょっとひと息──旅の途中、コーヒーを飲みながら休憩をしたくなる。
自転車であれば走りづめ、散策であれば歩きっばなし、鉄道旅なら乗り続けてしまう旅にいったん節を置く。ピリオドを付けるというほどじゃないから、カンマを置くくらいのイメージかな。
それは別にその街その土地の喫茶店である必要はない。スターバックスだってマクドナルドだってかまわない。腰を落ち着けてコーヒーを飲み、それまでの旅を振り返ったり、その街その土地の空気を感じたり。
僕は旅先でわざわざ話をしたりするほうではないから──TVの旅番組を見ているとよくこんなにいろんな人に臆することなく話すなあと思う──、喫茶店に入ってもマスターやママと話すことはそうない。そういう意味じゃスターバックスやマクドナルドなら話す意識など持たなくていいから気が楽だ。
──もともと、人と接するのがおっくうだったりするわけだ。
まったく話さないかというと、まあそんなこともなくて、どちらからともなく話し始めて思いのほか弾むこともある。
それはそれでいい。
◆
身延山の久遠寺を訪れた折、帰りのバスを待つあいだ、バス停前の喫茶店に入った。バスの待ち時間は短いわけではなかったけれど、長いわけでもなかった。コーヒーを頼むと、丁寧にじっくり淹れるのが信条のようで、「時間がかかっちゃいますけど」と申し訳なさそうに断りを入れる。僕はバスを待っていること、その時間を告げ、でもコーヒーをぜひいただきたいですと言うと、わかりましたと笑顔でコーヒーを落としてくれた。それから話が弾む。
夏の終わりの久遠寺は雨に濡れていて、それでも菩提梯(本堂ヘと直登する287段の石段)を上りました、せっかく来たのですからと言うと喜んでくれ、菩提梯の意味や久遠寺の話をたくさんしてくれた。私は信者というわけじゃないんですけどねと笑いながら。でもそのこころはわかるものですよと言った。
バスの姿が見えたので席を立つと、ほかの季節にもぜひ来てください、いいですよと見送られた。バスに乗ると、ずっと差していた傘を店先の傘立てに忘れてきたことを思い出した。置き去りも申し訳ないと思い、駅に着いて電話をすると、「電車は何時ですか? 車で急いで届けます」と。
残念ながら電車の待ち時間はそうはなかった。すると送りますからと言うので、のちに住所を連絡し、送られてきた傘に対してお礼を送ったりとかえって高くついたけど、それもそれ、旅先で飲んだコーヒーの流れというもの。
(久遠寺の喫茶店)
ひと息ついた場所は旅の印象にひとつのスパイスを残す。
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