日光市道1002号、小田代ヶ原から千手ヶ浜へ(Jun-2017)
僕は今ここにある重機に目を疑った。それはあまりにも不釣り合いで、想定外だったから。そして少なからずショックだったから。
中禅寺湖の西の裏手にある千手ヶ浜は、そこへ向かう道からすべて、大観光地・奥日光とは思えない静かで自然なままの光景で、異次元か、まるでねじれた空間同士をつなぐ不安定な扉の向こう側へやってきたようにさえ錯覚する。
道の終端で目に飛び込んできたのは、黒とだいだい色をまとったクレーン車だった。
◆
国道120号の奥日光、竜頭の滝の先、赤沼茶屋の手前で分岐する日光市道1002号線は、まだここを訪れたことがないというUさんをぜひ連れて行きたいと思っていた場所だった。自転車旅友人で土地、風景、そして道の趣向がきわめて近い──と僕が思い込んでいる──Uさんならこの道を楽しんでくれるに違いないと思っていたから。Uさんを誘い、そこに去年から一緒に走っているMさんも加わった。
僕は話を持ちかけるものの、この市道1002号のことをうまく説明できない。地図に示したルートを見てもらうくらいしかできなかった。言い表せないのだ。魅力? 何があるだろう、いや何もない、じゃあ何が魅力なのか。自然? 自然など奥日光全体が自然のようなものだし。だから僕はルートを示して「ここなんですが……」と言うほかなかった。
「行きたいと思ってた場所なんですよ」
と思いがけずUさんは返事をくれた。Mさんは特にイエスもなくノォもなく、
「一緒に行かせてください」
と言った。
◆
都内、新宿からやってくるUさんとMさんは、JRからの直通特急「日光1号」の指定席を確保した。東武沿線、越谷からの僕は、以前快速として運転されていた系統か、東武特急を使うのがセオリーだけど、特急に乗るほどでもないし、かつての快速がこの春のダイヤ改正で化けた日光線急行は、快速時代にも増して混雑とストレスとが共存する列車になってしまい、そんなわけで僕は1時間早く出発してでも普通列車だけの乗り継ぎで行こうと、乗り換えを繰り返しつつ東武日光へ向かった。
東武日光駅前は25分前に着いた急行の下車客の混雑がまだ残っていた。各方面へのバス停に列ができている。でも駅舎内はもう人も捌けて落ち着きを取り戻している。僕は駅前で自転車を組んだ。右手に見える霧降高原はくっきりとその山肌を青空の背景のうえに描画している。しかし左手の奥日光から男体山は、空は青いながら、部分部分が得体のしれない雲に覆われている。全容が見えない。
ふたりの到着までまだ40分ばかり時間があるので、駅の周辺を散策してみることにした。東照宮へ向かう目抜き通り国道119号と、並行して流れる大谷(だいや)川のあいだにある路地を、適当に、くねくねと、走った。そこはごくふつうの住宅地で、すぐ50メートル脇を大観光地道路が通っているとは思えないギャップだった。自宅駐車場で車を洗車している人がいる。消防署ではかけ声とともに朝の体操をやっている。旧家とおぼしき大きな門構えと手入れされた庭木だけが見える木塀に囲まれた家もある。路地に小気味よく入ってきた車がひとつの家の前で勢いよく止まり、運転席から降りるなり鍵も掛けずにごめんくださーいとその家へ入っていく。どこにでもある、当たり前の時間がそこに流れていた。
時計が9時25分を示しているのを見て、そろそろ戻らなきゃと国道119号に出た。混雑で有名な道もいたって静かだった。車通りがほとんどない。
東武日光駅前に戻ると驚くほどの混雑に変貌していた。さっき僕が見たバス停の列など生やさしいにもほどがあった。バス停が並ぶロータリー中央の「島」は、行列と、行き先を探す人と、自撮りをする人が無方向にあふれ、同じように駅前も駅舎内も雑然としていた。
そして駅前はこれから組み上げようとする自転車が品評会のように並べられ、日光輪行の人気を肌に感じた。時間からすると東武特急と急行が到着した時間なのだろう。2本の列車がこれだけの台数の自転車を運んできたんだ。
JRからの特急も到着し、駅舎から輪行袋をかかえて現れたUさんもMさんも同様に感じたようだった。再会のあいさつを交わす余裕も失うほど、雰囲気に飲まれてしまった。ふたりは見まわすようにして自転車を組み上げる場所を探し、それを見つけるとほっとひと息ついた。
輪行袋を解きながら、
「あの山は何ですか?」
とMさんが言う。青空のなかにくっきり浮かび上がった山を見ている。
「霧降高原です」
と僕は答えた。「今日行く場所とは違います」
「こっちはなんだか妙な雲がかかってますねえ」
とUさんが奥日光方面を見て言った。そうなんですよ、と僕は答えた。
「でも空は青いですよね、梅雨入りしたっていうのに」
と僕が言うと、
「ここのところ晴れてるし、梅雨入り宣言は今なんですかねえ」
とUさんが笑った。
10時をまわった。東武日光駅前のロータリーを出発する。バス停の行列はまだ、続いている。
今日は奥日光への王道ルートなのでまず国道119号へ出る。僕が40分前に通ったときとはようすが変わっている。車は数珠つなぎで一直線の坂道を神橋へ向かっていた。
「憾満ヶ淵(かんまんがふち)の並び地蔵を見に行きましょう」
神橋前を曲がったところでUさんが声をかけ、先導をしてくれた。僕も来てみたいと思っていた場所だ。国道119号を離れ、大谷川に沿う細い道へと下っていった。
途端に、すぐそばを、自家用車や観光バスでいっぱいの国道119号が通っているとは思えない静かな場所になった。大谷川を小さな橋で渡り、慈雲寺の本堂とそこに並ぶ地蔵たちが迎えた。
「芭蕉も来たって言いますからね、本当に芭蕉は見どころを外さない」
とUさんが言う。圧巻の並び地蔵だけでなく、大谷川の清流がきれいだ。大きな岩──奇岩と言ってもいいほど不思議な岩が連なる──のあいだを白く波をたてて下っていくさまは優しくてやわらかだった。暑くなり始めた日光市内で深い緑と清流の涼を得た。それからしばらくのあいだ、思い思いに写真を撮り歩く。
「この先、少し担いだり押したりしてもらうとまた国道に戻れます」とUさんが言った。
僕らは並び地蔵たちに見つめられながら自転車を押し歩く。道は狭い砂利道で、さらに階段があり、石段があった。おのおの担いだりかかえたりしながら細い道を進んだ。
そうやって憾満ヶ淵を片道ルートで抜けてきたものだから化地蔵には化かされなかった。化地蔵とは、憾満ヶ淵へ行った折に、地蔵の数が行きと帰りで違って数えられるものだから呼ばれる並び地蔵の別の通称。狐に化かされるのだろうか。
国道に戻り、最後のコンビニに立ち寄って馬返までやってきた。ここからがいよいよいろは坂になる。奥日光へ向かって上る第二いろは坂と、下ってくる第一いろは坂。いずれも一方通行で逆走はできない。だから万が一坂の途中で音を上げてしまっても、押してでも上まで行ってくる必要がある。
「その話をいろんな人からされるんです。あと戻りはできないんだからくれぐれも気をつけるように、と」
とMさんは言った。いいですねえ、後方支援がたくさんいるんですねえと僕らは笑う。いずれにしてもここはあきらめて、時間のかかることを前提にゆっくり上るのだと腹をくくるしかない。そして「い」の看板から順に片づけていった。
3分の2くらい上った黒髪平、僕とUさんは駐車場へ入ったもののMさんがそれに気づかずそのまま上っていく。あらら行っちゃいました、気づきませんでしたね、と言いつつふたりで休憩に入った。
そこへクロモリの細身のスケルトン、にび色の自転車に乗った青年が現れた。挨拶をし、その美しい自転車に見惚れてしまったので、それを伝えるとそこから話が弾んだ。しばらく自転車の話や輪行の話を3人でしつつ、Mさんが気になったので、「もうひとり一緒にいるので、明智平まで一緒に行きましょう」と3人で走り出した。
Mさんは少し先の路肩で休んでいた。明智平に着く前に合流でき、今度は4人になって明智平まで向かった。
「この先のトンネルがいろは坂のピークで、あとは中禅寺湖に向かって下りですから、休憩しましょう」
いつもは渋滞している明智平駐車場への右折レーンも混雑がなく、駐車場もずいぶん空きがあった。買い食いもできるお土産屋がシャッターを閉ざしている。工事中だろうか。
明智平のロープウェイは営業していて、乗り場のお土産屋はやっているのだけど、ずいぶんと寂しい光景だった。
でもいったんの区切りと、ここで長めの休憩をとった。
Mさんに黒髪平で会った青年を紹介し、あらためて挨拶を交わす。S君と言った。身長が高く、その分フレームサイズも大きいクロモリは典型的な、「恰好いい自転車の形」をしていた。
聞けば輪行でいろいろな土地へ出かけて、このクロモリを走らせているのだそう。僕と同じじゃないか──。途端にうれしくなってしまい、どこへ行ったのか、どんなところを走っているのか、どこが良かったのか、ついつい質問攻めになってしまう。年代的にも僕らからすると子供世代であり、かわいくて仕方がないっていうのもあったかもしれない。あとで聞けば24歳、UさんMさんにとっては自分の子供より若いそうだ。
「これからさ、カレーを食べに行こうと思ってるんですけど一緒に行きます」
「カレーですか?」
「ろんぐらいだぁす! っていうアニメ知ってますか?」
「マンガで読んでます」
「そこに出てきた、金谷ホテルがやってるカフェ。ちょっとふつうじゃないお値段のカレーなんですけど、まあせっかく来たんで話のタネに良ければ」
「行きます、一緒に走れるのはうれしいです」
僕はうれしくなった。が、にわかに、これは中年の若者への押し売りと、親切な若者の社交辞令じゃなかろうか、と不安になった。でも言ってしまった手前引っ込みもつかず、明智平を出発した。
ちいさな雨粒が落ちてきていることには気づいていた。
◆
この中禅寺湖畔を走るのは、じりじり暑い夏の盛りがいい、というのが、いろいろな季節にここを走って、総じて考えた僕の結論だ。
いろは坂を上ってすっかり熱くなった身体に中禅寺湖の湖面を洗った風が流れてきて、抜けていく。夏の盛りだとこのあたりでも暑くて仕方がないのだけど、ほんの少しの涼風がどこかの神経をくすぐるのだ。
それ以外の季節は──もちろん気持ちがいいのだけど──、冷たく肌に触れるのだ。僕には寒く感じる。
だから、この中禅寺湖畔の区間に限って言えば、僕は真夏だ。
弱雨は身体を濡らすというよりも、寒さを感じさせた。
路面も濡れていて、白線だのマンホールだの走るラインばかり気にしてたから、中禅寺湖からの風も感じずじまいだった。気温が低くなっていて寒いのか、湖からの風を受けて寒いのか、よくわからなかった。どう、気持ちいいでしょう? と後ろを走る奥日光が初めてのMさんに得意げに言いたかったのに、それもかなわなかった。しっとりと濡れ始めた路面は後ろを振り返る余裕もくれなかった。途中止まることもなく、コーヒーハウスユーコンまで走った。
13時過ぎの有名店は、待つこともあるかと予想していたけれど平気だった。空席がちらほらある。
何名様でしょうと聞く店員の女性に4人ですと答えると、
「テラスの席はいっぱいなんですが、店内でもかまわないですか?」
と言った。
この小雨模様のねずみ色のなか、テラス席など考えもつかなかったけど、見るとそのテーブルはすべて埋まっていた。そこに中禅寺湖があるのだから、見えようが見えまいが、中禅寺湖を肌で感じられる席にすべきなのかもしれない。それは、中禅寺湖畔道路は真夏のじりじりした季節に限る、と言い張る僕と同じようなものだ。
僕は冷えた身体で、正直助かった、と内心思いつつ店内のテーブル席についた。
──1700円もするカレー。
ちゅうちょせずにはいられないけど、それはどうでもいい。ここでカレーを食べながら自転車と旅の話をするのだ。その場所代だ。
明智平で牛串でも食べようかと思っていた──そう、かつて食べた記憶があった──のに、店がやっていないんじゃ仕方がなかった。お昼をずいぶんまわって、空腹のままここまでやってきた。
形式ばった昔ながらのカレーポットに別盛りされたカレーは甘口で、辛いカレーが好みの人には物足りないかもしれない。あるいはカレーの種類(4種あった)によって違うのか。でも辛い食べ物全般が苦手なMさんが、これなら食べられると言っていたからすべて甘口と見ていいんだろう。どうであれ、ここまで空腹で走ってきたもんだからどんどん進む。
そして食事をしながら、ふだんとは違うメンバーがひとり加わるだけで会話が広がる。話題があっちこっちに飛びながら、カレーをあっという間に食べ、また話は続く。
どれくらい話をしただろう。トイレに立つとそれは店とは別棟にあり、一度外に出る必要があった。足もとを見て、空を見た。
──雨が、しっかり降っていた。
◆
本当なら走りながら手を離し両手を広げて、ほらこの道、どうです、すごくいいでしょう、そうアピールしたかった。オーバーなパフォーマンスで。お世辞でも、いいなあこの道って、ぼそっと言ってもらおうと。
でもそんなことできなかった。雨は、カフェを出てすぐに着こんだウィンドブレーカーに音を立てて当たっていた。この本降りの雨のなか、どこまで進んでいくの? やめないの? そうみんなが考えているに違いなかった。誰も、やめて帰ろうよって言わなかった。だからこそ気になって仕方がなかった。僕が先頭を走っている。僕が、中断を決めずにみんなを引き連れて行ってしまっているんだと思えて仕方がなかった。
日光市道1002号。全長およそ10キロ。
自分ひとりなら別。久しぶりのこの道、風邪をひいたって千手ヶ浜まで行けばいい。でもみんなを連れてこのまま進んでいくことが正しいのかわからなくてつぶれそうだった。
雨は、強くなったり弱くなったりした。
やがて右手に小田代ヶ原が現れた。森と山に囲まれた草原は、ひたすら広がりを見せる戦場ヶ原とは違う印象がある。隔離された別世界の草原。向こうの世界と閉ざされたこちらの世界。ここに身を置く異次元感覚。
小田代ヶ原はトレッキングコースが整備されていて、戦場ヶ原とつないだロングトレイルも可能だ。でも僕はここを歩き倒すのではなく、この隔離された閉塞空間として切り取って見て、身を置くことが好きだ。この市道1002から見ていると、草原はそういうふうに映る。
少しばかり、小田代ヶ原を4人で眺めた。
S君もここに来ていた。カレーを食べ終えたあと、「千手ヶ浜っていう中禅寺湖の裏手にある静かな浜まで行ってみようと思ってるんだ」と言って地図を見せ、「一緒に行く?」と聞いた。彼はふたつ返事で行くと答える。しかしながら僕は、自分で誘っておきながらまたあとになって、それでいいのかと自問してしまう。
小田代ヶ原の展望所は、トイレと、バスの行き違い設備を備えたスペースになっていて、ちょうど双方のバスがすれ違いをしていた。千手ヶ浜へ向かうバスに乗客はまばらだった。赤沼茶屋へ戻るバスは立ち客が出るほど満載だった。降り出した雨がやむ気配を見せないものだから、誰もがここにいることを拒んだ。あるいはふだんならトレッキングで国道に出る人たちがバスを満員にしていた。
傘を差したバス停の行列が、どうやって全員乗ったのかわからないけれどバスに吸い込まれ、出発していくとすっかり静かになった。誰も行くも帰るも言わない。そう、今はまだ「往路」なのだ。やめるという選択肢がある。
僕は、じゃあ行きましょうか、と3人に言った。戻りましょうと言いだしきれずに。
小田代ヶ原の展望所を過ぎるとすぐに、弓張峠という名のピークがある。看板や標識はない。道路の坂の具合から見てここがそうなのだろうと思うだけだ。その弓張峠を過ぎると、市道1002は千手ヶ浜まで下りっぱなしになる。雨に打たれつつ、下る。
下りを先へ進むということは、帰りは上らなくちゃいけないということ。
そればかり気にする。
少しだけ幸いだったのは、雨が小降りになったことだ。あるいは雨域の中心を外したのかもしれない。そして駆け下りた千手ヶ浜は、雨が降っていなかった。
それぞれの風景を楽しみたくて、みんな自分の場所を探し、自転車を押して浜へ散った。
◆
ゲートは、世界を隔離する扉だ。
市道1002を走り戻ってくると、ゲートが物語の終わりを告げる。
その向こうには奥日光の国道120号、数秒おきに車が右から左、左から右へと走りぬける。誰だって現実世界には戻らなくちゃならない。僕らも、この車の車列にまた身を埋める必要がある。異次元の旅は、これで終わりだ。
僕らは、ゲートを抜けた。
◆
千手ヶ浜のクレーンは、どうも見た感じ遊覧船を建造しているようだった。いつもは低公害バスしか走ることのない市道1002を何台もの車が行き来して、これは造船にかかわる車たちだった。
初め建物かと思ったそれが船であるとわかり、できあがればここからなくなるのだからとほっとしたものの、多層構造の遊覧船はたくさんの人を運べそうでもある。この船はこの浜に立ち寄るんだろうか。千手ヶ浜に、人が増えるんだろうか。
「千手ヶ浜に人が増えたとしても、あの道は大丈夫だよ。船で来た人は船で帰るから」
日光市内まで下って入ったカフェで、ちいさな憂いを口にする僕にMさんがそう言った。
そうだ、市道1002はきっと大丈夫だ。
また来よう、市道1002に。今度は天気のいい日に、西ノ湖にも足を延ばしてみよう。
(本日のマップ)
▼待ち合わせまでの時間で市内散策
▼憾満ヶ淵と並び地蔵
▼黒髪平から上ってきたいろは坂を望む
▼いよいよ中禅寺湖畔、中宮祠の鳥居
▼金谷ホテルのコーヒーショップ・ユーコン
▼日光市道1002号への入り口、別世界への扉
▼小田代ヶ原
▼舗装路の外へ踏み出すことは簡単には許されないと言っているような手つかずの自然
▼千手ヶ浜
▼この静かな浜に重機が……一時的なものだろうか
※Uさん、Mさん、いつもながらいただいた写真を使わせていただきました。
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