栃木県道177号
いつのまに、こんな異空間へ来てしまったのか気づきもしなかった。変化を感じ取っていなかった。ただ、ふと立ち止ってみたときにはじめて、見まわした360度の目に入るものが、何もない、ただの原野のなかにアスファルトの道があるだけの場所だとわかった。
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場所は栃木県の鹿沼市になる。かつては粟野町だった。
その口粟野という地に僕はいた。自転車を止め、街をながめ、ぶらぶらしていた。田舎の集落にありがちな建屋が道の両脇を埋め、そのひとつひとつがあらゆる時代の流れを切り取っていた。古いものもあれば懐かしいものもある。ひとつの時代の名残ではない、長い時代を生き抜いて残っている街だ。僕はこういう時間の積み上がった風景が好きだ。
だから県道177号だってその口粟野の集落から県道246号と県道337号を経て入ったひとつの県道にすぎないはずだった。
そこは南摩といった。道ばたに商店と一般家屋と農家ぽつりぽつりと点在する。どこにでもある地方の県道風景だった。
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自転車を降りて立ち止まったとき、いつどこでこんな場所に迷い込んでしまったのかわからなかった。別の世界への扉を開けたわけでもないし、特別な分かれ道で選択したルートでもない。メビウスの輪で知らぬ間に裏側に入り込んでしまったように、一本道の栃木県道177号をたどっていたら、僕はここにいたのだ。
自然のなかというより、原野というべきなのか。まず人の気配がまったくない。人家もまったくないのだろう。どこからかわからないけど電柱も電線もなくなっている。電気も来ていないということ。空に、迷い込んでしまった鳥の声が聞こえる以外は、動物の気配すらない。生命を、感じられない。
不思議な、自分だけの空間だった。
ここは、楽しい。空を仰ぎ、ぐるりとひとまわり。僕は幸福感に満ちた。
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帰ってから調べてわかったのは、ここがダムの建設予定地であることだ。南摩ダムといい、思川水系の大きな治水事業のひとつのようだ。
かつてこの地にも人がおり、営みがあった。しかしダム計画により全戸が市街も含めすでに移転したのだという。結果、こんなにも生命感の希薄な、原野と県道が残されることになったようだ。
そうするとつまり、僕が迷い込んだメビウスの輪の裏側は、やがて走ることのできないダムの湖底になるのだ。
地図を見てみる。
僕が走った県道177号の区間。
走りながら右頭上にやたらと高規格で造られた道路が通っていることに気づいていた。これはダムの付け替え道路っていうことだ。つまり県道177号のやがての姿だ。
現在、この道は上南摩町から分岐したほんの短い区間のみ、地図上に記されている。
しかし道はもっと長く、先までできあがっている。はるか先で、僕は下からトンネルの坑口をながめた。なるほど同区間のグーグルマップを航空写真に切り替えてみれば、そこに道路がもうできあがっていることが良くわかる。
僕が自転車を止め、荒涼とした原野のなかに身を置くことを楽しんでいた場所の先にも、バリケードで通行止めされた道の奥に、立派なトンネルの坑口を見た。まったく地図には表記されていない道だけど、こちらも航空写真に切り替えてみれば、もうできあがっている道路であろうことが感じられた。
▼ 坑口(南)拡大
▼ 坑口(北)拡大
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南摩ダムは、かつての八ツ場ダムのようにその建設が進んでいないようだ。準備された付け替えの県道177号ももう長いこと往来を待っている。これだけの高規格道路を造っているのだから、いっそ残区間もつないで付け替えてしまえばいいのにと思うが、ダム建設が進まないとそれも立ちゆかないのだろうか。僕にはその光景が塩那道路を彷彿とさせた。
いずれにしてもダムの建設が進んでいないのであれば、まだこの現道の177号も楽しめそうだ。万が一の建設中断といった展開があると、付け替えの新道は未成廃道になることもありえるだろうか。
知るにつれ、なお興味が増す道だ。もう一度原野へ、そして単管バリケードを越えて付け替えの新道に入り込んでみてしまおうか、そんないたずら心がわき上がってやまない。
また、行こう。
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